Be Good Boys

66年に神田のビルの一角で手探りではじめたボード製造ビジネス。片や、30歳まで建築の仕事に携わっていながらも、自分の車を作りたいという一心で、78年に自らオープンさせたワーゲンのスペシャルショップ。どちらも全てが自分たちの手で開拓していったビジネスだった。

●自分たちで開拓してきたビジネス

小森:30歳まで建築の仕事をやっていたのが、ぜんぜん車とは関係なかったんだけど、自分の車を作りたいという気持ちからはじまってやがてワーゲンのビジネスを76年に店を持つようになっちゃったね。

阿出川:商社はサーフィンなどの小さな商売には手を出さないわけよ。

小森:車の世界もまったく同じですよ。いわゆる隙き間ビジネスですね。好きな人がやりはじめれば、いくらでも大きくなっていけたという時代だったんでしょうね。VWの世界でも同じような仲間もいたしね。一時、スキャットなんていう同業者もありましたけど、大手商社などは入ってこなくてね。

阿出川:一時、伊藤忠や丸紅とかいった商社の人とも話もしたけど、みんなサーフィンに興味なかったみたいだね。そんな中で、高島屋がサーフィンに興味を持ってくれて、そのときの社長さんがサーフィンに興味に持ってたんじゃないかな、日本橋高島屋のショーウインドにボードを飾ってくれてね…そのボードはすぐに売れたね。その後、銀座の三越などがショーウインドに飾ってくれて、その後だよね、一般にサーフィンが少しずつ知れていったのは。

小森:商社が相手してくれなかったこともあって、自分たちが全部やっていかなければいけなかったしね。段ボールを手で運んでこれた時代はよかったよね。でも、やがて、それじゃ足りなくなってくるわけじゃない。

阿出川:小さな商社に頼んで、例えばウレタンを300本とか一気に入れるようになっていったね。タタミ草履などの商品も飛ぶように売れるから、1万足分なんかを入れなくちゃいけないようになっていったからね。

小森:ぼくの場合は、自分でアメリカのフォワーダーを探して、自分で輸入の手続きをとりましたよ。輸入事業を全部、自分で探してやりはじめたよ。最初は、手荷物からはじまったけど、エンジンなどは持ち込めないしね。ロングビーチにフォワーダーが多くいて、それを探して、あと日本の通関屋ね、通関事務所なんかも自分で探して、車の輸入業務をスタートさせていったね。

阿出川:通関も大変。3本グレッグノールのボ−ドを輸入したんだけど、1枚書類が揃ってなくって、1週間ほど通ったけど、書類ないから出せないというだよね…厳しかったね….。最終的にはかわいそうに思ったのか、融通聞いてくれたけどね(笑)。情熱が伝わったのかな?

小森:車はそうはいかないよね、通関書類がなくちゃ、入れることなんかできなかったけどね。しかも、高い関税を納付して…とにかく大変だったよね。

阿出川:俺もいくらでもあったよ。買ったものが届かなかったことなんかもあったよ。リーシュコードとかも届かなかったよね。そこでめげないで続けていったから、今まで続けてこれたんだよね。

小森:買う側だったから、ろくに英語話せなくっても相手は理解してくれて、購入することはできたけどね…お金おいて帰ってくるんだけど、商品が届かないなんてこともよくあったよ。リスクだよね。欲しいから購入するんだけど、もしかしたら届かないかも…そういう時代もあったよ。

1972年:東京晴海で開催されたスポーツ用品見本市
1970年代TED SURF SHOP千葉太東
1972年鵠沼海岸
1970年代太東海岸

66年に神田のビルの一角で手探りではじめたボード製造ビジネス。片や、30歳まで建築の仕事に携わっていながらも、自分の車を作りたいという一心で、78年に自らオープンさせたワーゲンのスペシャルショップ。どちらも全てが自分たちの手で開拓していったビジネスだった。

●遊びと仕事の区切り

小森:ボク的には区切りがないんだけど、どう? 趣味が仕事となっているね。好きなことを追いかけてきて、ここまできちゃったという感じかな。ここまで仕事を続けてこれた理由は、お客さまが喜んでくれるのが自分も嬉しいし、その繰り返しだよね。ワーゲン乗りがこういうのが欲しいじゃないかな、と思ったものをどんどん供給していくことが喜びだな。欲しいものが探せなければ作るし、必要な人がいれば全世界にそれを供給するしね。ステアリングホイールとかアルミホイールとか、シフターとか、エアコンキットね、これらが売れるし、欲しがってるだよねユーザーたちは。チームのメンバーにパーツを買ってきたことに、はじまって、考えてみればそのまんまだね。感覚は昔と同じだね(笑)。

阿出川:ぼくの場合は、サーフィンからはじまって、幅が広くなってきたって感じかな。サーフィンの裾野が広くなったんだろうね。サーフボードからはじめてシューズやファッション、雑貨とね。MADE IN USAの本が出版されて、あっという間に、日本中に広まっていったね。アメリカから持ってくれば何でも売れた時代に入るわけ。アメリカがブームになった時代だったね。

小森:行くたびに発見だらけで、心躍ったよね、楽しかった。「カリフォルニアルック」っていうフレーズは、74年ぐらいに現地で生まれて言葉だよ。カリフォルニアは、とくにオレンジかウンティあたりはワーゲンでカスタムをつくる人間たちが多くいて、ホットロッドにしたり、そこで西海岸で新しい文化が生まれていったわけで、専門ショップも多かったしね。カリフォルニアのワーゲンフリークたちのライフスタイルというかフィーリングを日本にもってくるのが好きだったし、それが仕事になった。

阿出川:ぼくも純粋にサーフィンが好きだったから、アメリカやハワイに通ったけど、同時に、アメリカの文化も好きだったんだろうね。アメリカの文化を語る上で、サーフィンもないとはじまらないってことのもあって、それで自分でサーフボード作って、それを売って、そして日本にサーフィンというものをプロモーションして歩いていったってことなわけ。アメリカが好きだったから、サーフィンを自分のなかでも、ビジネスとしてもうまくやっていけたんだと思う。

50年代、60年代のアメリカに憧れ、アメリカ文化を仕事としてしまった二人。その刺激的で感動的なアメリカのおもしろさも、ディケードとともに徐々に減ってきていると言う。古き良きアメリカ。そこには、夢が溢れていた。その時代のときめきが、二人の心には今なお残っている。

●カリフォルニアとの今後のつながり

阿出川:アメリカ人自体も変わったね。見た目も変わったよね。60年代、70年代、80年代と変っていったしね、今こうだってのが言えないな。

小森:移民の国だから、いろいろな国籍が増えて、カリフォルニアは変わってきたね。町中ハングル文字から中国語からメキシカンから…。

小森:ぼくが現地法人を立ち上げて、現地のハブとして、車やパ−ツの買付をして日本に輸入していた80年代終わりごろから90年にかけては、生活するには居心地は悪くはなかったけど、だんだんと魅力がなくなってきたよね。阿出川さんが行かれていた60年代ごろは最高だったと思いますよ。

阿出川:70年代後半とか時間とともに、サーフィンといのは当たり前になっていく時代がくるでしょ。だから、面白さという点では60年代が最高だったのかもね。アメリカに行き出した頃が刺激的で良かったかもね。張り合いもあったしね。

小森:50年代、60年代の良きアメリカが変わってきたのは確かだね。当時を知っているし、憧れてきたから、なんだか余計に残念だよね。ここ30年ぐらい、そうした良き時代のアメリカのジュークボックスを集めてきてたんだよ。ライティングもデザインもきれいでしょ。動きがいいじゃない。そして音がなるんだよ。130台ぐらいなっていて、千葉の佐倉に倉庫を借りたの。でも、倉庫で保管しているのにもお金かかってしかたないから、1台1台オーバーホールして販売はじめてるんですよ。フラット4の2軒隣にショールーム作ってね…そしたら、意外と引き合いがあるんだよね。売れるんですよ、これが、誰もやってないでしょ、昔のものだから。

阿出川:また、好きなことが商売になってきてる(笑)。

小森:ただし問題なのは、昔のものだから、これを直す人がいないってことなんだよ。真空管だった時代のものでしょ、それが60年代からトランジスターに変わるわけ。裏を見たら配線も複雑で、直す職人が高齢でごくごく少人数だしね。車より難しいんだよ。ジュークボックスは、動いて、音が出て価値があるじゃないですか…動かなかったら車と同じで邪魔ものですよ(笑)むかしの電蓄みたいなもんだよね、木のキャビネットでね、それが動くんだよ。昔の物は格好いいですよ。夢あるし。

阿出川:昔のものはデザインがいいね。

小森:モノラルでいい音を奏でる。40~50年代のジュークボックスなんかはモノラルなのに、とてもいい音が出るんですよね。すごいです。

阿出川:こういうもの見てると、あの時代のアメリカってのは本当に豊かだったな、って思えるよね。夢あるね。

小森:仕事やめたいんだけどね..(笑)やることいっぱいまだあって困ってるよ。でも、これらの文化を後世に残さないとね…。

阿出川:サーフボードにしろ、サーフィンカルチャーにしろ、車も必需品だったし、夢あったよ。ぼくらがやってきたこと、すべてのバックボーンは、良きアメリカだと思う。50年代、60年代のアメリカだね。夢があった時代だったしね。

text:吉田 文平 (2015年5月1日発行 Cal掲載記事全文)

テッド阿出川(本名:Teruo Adegawa)
1943年生まれ。日本におけるボードビルダーの草分け的存在。66年に東京神田にサーフショップをオープンしボード製造業を行う傍ら16ミリサーフィン映画の製作、サーフファッション&グッズの輸入販売、コラム執筆など数々の活躍で、日本にアメリカ&サーフィン文化の潮流を生み出してきた

小森 隆(Takashi Komori)
1946年生まれ。空冷VWのスペシャルショップ“FLAT4”代表。VWビートルに魅せられて74年からカリフォルニアのイベントに通いながら、空冷VWカスタム・ホービーシーンを日本に広めていった立役者。すでに3000台以上もの空冷VWのレストア・販売を手がけ日本におけるビートル・ブームを牽引してきた。




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