Be Good Boys

10本のグレーテスト・ロック映画を選んでみたよ!前編
うざい世の中、だめな気分をロッケンロールで吹き飛ばそう!

Kenji Muroya


1. ブリティッシュ・ロッカーたちの光と影

 世界史の常識をひっくり返したイギリスの若者たち、60年代に始まったブリティッシュ・インベイジョンにはハリウッドも降参だった。未だに世界中からこの映画の撮影場所に“聖地巡礼”するファンたちもいるって、そんなロックなメイド・イングレートブリテン映画をあなたは知ってる?

『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』
A Hard Day’s Night (1964)


 はじめにこの映画ありき、ビートルズありき、だ。スクリーンの中も、外もキャーキャー歓声を上げるファンたち。モップ頭を振って、追いかけるファンの群れを振り切って4人のアイドルは駆ける、駆ける。「映画館であんなに大声を出して自分の気持ちを現したのは、あの映画が初めて!後はシェイ・スタジアムで、その後は反戦デモで、その次はウッドストックね!」とは僕の同級生の弁。1964年に公開され、世界の若者の行動のモードを変えてしまったのは、この映画だ。冒頭にジョージ・ハリソンの12弦ギターから響くコードは“60年代”の到来を告げる最初のサウンドだったのだ。短い髪で劇場に入った少年たちの髪は映画を観てる間に伸び始め、70年代になるまで、もう二度と切られることはなかった、なんてね。
 モノクロ・フィルムで手持ちカメラを使い、まるで脚本なしの即興で、アイドルを演じるなんてまっぽらという具合に、短い言葉でそれぞれの個性をさらす4人。実は撮影前に彼らと行動を共にした脚本家が周到に用意した台本があったが、監督リチャード・レスターが使ったセミ・ドキュメンタリー風な手法は、それまでのエルビス映画とは違って、実に斬新でオリジナルだった。と映画批評家たちは大絶賛。そして何よりもこの映画からこぼれてきたのは、微笑みをかわしながら、「シー・ラヴズ・ユー」「キャント・バイ・ミー・ラブ」それにリンゴが口にした“きびしい一日の夜”を、一晩で曲に仕上げ、映画の表題曲にしたジョンとポール……4人の若々しい喜びと創造的なエネルギー。半世紀という長い時が流れても、いまだに古びず、色褪せないロック映画普及の名作だ!
※2000年再上映とDVD発売から『ハード・デイズ・ナイト』に改題

『さらば青春の光』
Quadrophenia(1979)


 ビートルズがリバプールから世界に羽ばたいて行く一方で、キングス、ローリング・ストーンズというロンドンっ子たち、イギリスの労働者階級生まれの若者たちはその成功を片目で見ながら、町のパブやクラブで週末になると集まり、モッズやロッカーズというグループを作り、踊ったり、飲んだり、喧嘩をしてうさを晴らす若者たちの前で演奏して、彼らの“ノー・サティスファクション”を音楽で代弁していた。ストーンズの最初の大ヒット「サティスファクション」が発表されるのは翌1965年のことだ、おかっぱヘアや、細身の三つボタンのスーツ、ミリタリー・パーカー、たくさんのミラーをつけたスクーターなどを特徴とするモッズ・ファッションの若者たちのシーンを再現し、ロンドンや海辺とのリゾート地、ブライトンでのロッカーズ派との抗争に巻き込まれた若者ジミーと孤独と苦悩を描いたのがこの映画。75年代に大ヒットした『トミー』に続いて、ザ・フーがロック・オペラ物の第2弾『四重人格』のアルバムを下敷きに映画化、モッズ派のカリスマ的リーダー役でスティングが映画デビュー、主役のジミー役をピート・タウンゼントから持ちかけられたセックス・ピストルズのジョニー・ライドンが一笑に付したエピソードなど、話題が話題を呼び、公開された79年にはモッズ・リバイバルが起こったほど。
 ポール・ウィラー率いるジャムの人気爆発や、モッズ出身のデヴィッド・ボウイ主演の映画『アブソルートリー・ビギナーズ』(1986)もこの映画の影響なしには考えられない。なに?79年はカリフォルニアの映画館でラモーンズ主演の『ロックンロール・ハイスクール』を観て、しびれたしまったって?やれ、やれ……

2. 楽しくなければロック映画じゃない!コメディ系二大傑作!!

 ジミー・ファロンやジェームス・コーデんという歌って踊れるお笑い系スーパータレントの出現!でも、どっこい彼らの前には抱腹絶倒、すごい奴らがロック・コメディをTVや銀幕に炸裂させいたものだ。

『ブルース・ブラザーズ』
Blues Brothers(1980) 監督:ジョン・タンディス


 運営資金の不足から閉鎖寸前に追い込まれたシカゴの孤児院。その危機を救おうとチャリティ・コンサートを思いついてバンド仲間を集め、準備に奔走するのは、孤児院出身で今、監獄から出所してきたばかりのジェイクとエルウッド、ブルース・ブラザーズの二人。76年の放送開始とともに土曜日夜の最高の人気コメディ・ミュージカルTV番組として一世を風靡した『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』。その看板スターとなったゲジゲジ眉とぎょろ目の怪優、ジョン・ベルーシとギャグ作家兼出演コメディアン、ダン・アイクロイドが番組中にやった黒の安物スーツに黒サングラスで、ギターのスティーブ・クロッパー、ベースのドナルド“ダック”ダンら名うてのSNLバンドの演奏をバックに歌ったソウル・ナンバーは大受け。映画誕生のきっかけとなった。
 どたばたコメディにど派手なカーチェイスなどのアクション・シーン、それに音楽ファン、特にR&B音楽ファンならたまらない、ジェームス・ブラウン、レイ・チャールズ、アレサ・フランクリン、ジョン・リー・フッカーといった大物スターたちが歌い、踊るミュージカル・シーン……さまざまな要素をたくみに盛り込んだのは監督ジョン・ランディスの手腕だろうか。ジェイクを追いかける昔の女役に、あのかつての妖精モデルトゥイッギーや、納税市役所員にスティーブン・スピルバーグ監督、フィナーレの刑務所内、監獄ロックの演奏シーンで踊り出す囚人役でジョー・ウォルシュらがカメオ出演。「こんな映画、誰が観に来るんだ?」と公開前にうそぶいていたハリウッド重役の鼻をあかすような大ヒット興行となると、黒サングラス姿のブルース・ブラザーズ・バンドは「我ら神の使い!」と全米ナンバーワン・アルバムをひっさげて、世界各地を演奏してまわり、ソウル・ミュージック・ブームを再燃。音楽の流れまで変えてしまった。先頃、ソウルの女王アレサ・フランクリンが他界した際には、この映画で歌い踊る若き日の彼女のシーンがユーチューブで新たにミリオン・ヒットされたとか。ブルース・ブラザーズ、ほんと最高に素敵な音楽映画でしたね。えっ、チャカ・カーンも出てたの?どこ、どこ……。

『スパイナル・タップ』
This Is Spinal Tap(1984)


 “これまでで最も笑えるロック・ムービー!”“ヤァ!ヤァ!ヤァ!を超えた!”と公開時に絶賛され、以後も圧倒的なカルト的人気を誇り、2012年にはアメリカ国会図書館にその芸術的、文化歴価値を認められ永久保存された、この映画を知ってるあなたは、相当な英米音楽通だ。結成から17年、数多くのアルバムを出したイギリスのヘヴィメタ・バンド、ついにアメリカに上陸!……と『恋人たちの予感』『スタンド・バイ・ミー』のロブ・ライナーがドキュメンタリーしたこの映画、実は金髪で長髪のボーカル、やたら音量にこだわるギタリスト、カメラの前でいかにもまことしやかに語っていたが、全部それは嘘。スパイナル・タップは架空のバンドでヘヴィなイギリス訛りで、とうとう聖人伝風のバンドの歴史を語っていたのは、クリスファー・ガストらアメリカ人俳優たち。当時のもったいぶったロックワールドを誇張的にしてあざ笑う、これは知的な毒を持った一大ミュージカル・コメディ映画だったのだ。ただ事をややこしくしたのは、ゲスト以下、バンド主要メンバー3人を演じた役者たちは歌も楽器演奏もメチャうま。映画とは別にレコードも出し、実際に演奏ツアーもしてしまったから虚実皮膜ぐちゃぐちゃ。冗談でやっているのか、真面目なのか、格好よさとダサさが紙一重のまま、気がつくとまわりには、圧倒的なファン、フォロワーたち。フレディ・マーキュリー追悼コンサートに出演した彼らに、後輩にあたるメタリカのJ・ヘットフィールドは感謝と感激の挨拶をしていたとか。あのグランストンバリー・フェスティバルにも出演している。
実は先のジョン・ベルーシとクリストファー・ゲストとは、SNLのチェビー・チェイスらと、70年代はじめ、ハーバード大学の秀才たちが主催するパロディ誌「ナショナル・ランプーン」の劇場公演でウッドストック・フェスティバルのパロディ風ミュージカル『レミングス』で共演。ベルーシはジョー・コッカーの物真似をやれば、ゲストはボブ・ディランを巧みに真似て大受け。NYCのビレッジシアターでの公演は一年を超えるロングラン公演となった。

3. バンドやろうよ!

 バンドやろうよ!の大流行は60年代のビートルズ出現から70年代のパンク、80年代のMTVの影響などほぼ10年周期で起こっていた。日本では懐かしい深夜TVの大人気番組「イカ天」があった!青春の夢がふくらむマジックワード、アイルランドの若者たちも、トム・ハンクスも聴いていたんだ。

『ザ・コミットメンツ』
The Commitments(1991)


 「バンドやろうよ!」そんな声を自分の口から、あるいはまわりの誰かが発するのを一度も聞かずに青春を過ごしてしまった人がいたら、僕はちょっとそれを残念に思う。『小さな恋のメロディー』の原作と脚本家として映画界入りをしたイギリス人監督、アラン・パーカーがメガホンを取り、1991年に世界で公開されたのは、まさにアイルランド、ダブリン発のバンドやろうよ物語だった。原作はベストセラーになったロディ・ドイルの青春小説「おれたち、ザ・コミットメンツ」。主人公のジミーは町を駆け回って、理想のソウル・バンドを結成すべく、仲間たちを探す。新聞にメンバー募集の広告を出し、自宅でオーディション、集まってきた若者たちに「俺たちアイリシュはヨーロッパの黒人なんだ!」と強引な台詞で説得し、楽器集め、練習場所の確保と、縁の下の敏腕マネージャーとっして大活躍。成功した時の取材インタビューへの回答までお風呂のなかで練習しているシーンがwww!
年長の途方もないほら吹きトランペッター、ジョーイを演じた役者以外は、すべて映画の中のシーン同様、オーディションで集めた素人たち。ミュージシャンとしてもプロはコーラス隊のマリア・ドイルだけ。でも本気でバンドサウンドを目指した素人軍団、おそるべし!ウィルソン・ピケットの「ミッドナイト・アワー」、アル・グリーンの「テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー」、そしてとどめはオーティス・レディングの「トライ・ア・リトル・テンダーネス」。まだわずか16才だったメイン・ボーカルのアンドリュー・ストロングの歌いっぷりには、多くの観客が聞き惚れたことだろう。もちろん、人気が出れば、衝突も起こり、三角関係やら何やかや、結末はほろ苦いものでしたが、ちょうど、日本ではTVの人気深夜番組「いかしたバンド天国」が終わった頃、自分たちの経験に重ねて、このロー・バジェット、ノー・スターミュージシャンの小さな花のようなロック映画を愛した人々が少なからずいたはずだ。公開から20周年mp2013年には、アイルランド、イギリスで盛大なリユニオン・コンサートが開かれた。『ピンクフロイド/ザ・ウォール』(1982)より、グッとくるアラン・パーカーのロック作品だ。
バンドのベーシスト役に抜擢され、この映画の後、本格的プロ・ミュージシャンとなり、2007年世界的ヒットになった『ONCE ダブリンの街角で』で主役の渋いストリート・ミュージシャンを演じたのがグレン・ハンサード。彼が書いて歌い、アカデミー賞オリジナル歌曲賞に輝いた「フォーリング・スローリー」もグッとくる歌だよ!!

『すべてをあなたに』
That Thing You Do!(1996)


 1994年『フォレスト・ガンプ』で前年の『フィラデルフィア』に続き、2度目のアカデミー主演男優賞を受賞したトム・ハンクス。あの『フォレスト・ガンプ』のエルヴィスからサイモン&ガーファンクル、ママズ&パパスたの60年代ゴールデン・ポップス満載のサウンドトラック・アルバムが彼を刺激したに違いない。彼が満を持して脚本を手がけ、自身初の監督作として発表したのは、1964年、ペンシルベニアの田舎町でバンドを組み、ビートルズのようなヒット曲で成功を夢見る若者たちの姿を描いた、きわめつけの青春音楽映画だった。
 主人公ガイは父親の電気屋の手伝いをするかたわら、ジャズ・ドラマーになるのを夢見て、地下室でレコードにあわせ、ドラムを叩く日々。そんな彼にバンドのドラマーが腕を折ったので。大学のバンド・コンテストで代わりに叩いてくれと声がかかる。本番のステージでもともとはスローなオリジナル曲を、とっさのひらめきで彼がアップビートにすると、これが大受け。たちまち町のピザ・レストラン、隣町のフェア会場と次々、演奏の依頼が舞い込み、気がつくと彼らは大手レコード会社と契約。その曲はラジオから流れ、全米チャートのトップ10入り……ツアーが始まり、ハリウッドでTV出演、だが次々と夢が実現する中、彼らワンダーズの絆はほころびていく。そして、ある日……という、あの時代の(敏腕マネージャー、ミスター・ホワイト「トム・ハンクス」の言う)よくある話で、一発屋バンドの夢の日々はほろにがいエンディングを迎える。
 でも何しろ、始まりから終わりまで何度となく流れる彼らの曲「ザット・シング・ユー・ドゥ」がいい。リーダーのジミーのガールフレンド、フェイを演じるリヴ・タイラーがめちゃ可愛い。音楽は楽しい、バンドはいい、喜びをわかちあえる仲間といるのは最高だ。深みがないと言われればそれまでだが、ネガティブな部分は極力抑え、あの時代の無邪気でシンプルなあり方に、ハンクス監督はフォーカス。持ち歩くアタッシュケース1個でレコード会社を切り盛りするミスター・ホワイトのクールな動きは、あまりにも組織化されてしまった音楽ビジネス界へのアンチ・テーゼでもあっただろう。ノスタルジアは未来を撃つ!そんなメッセージを感じる素敵な青春音楽映画だった。サンクス、ミスター・ハンクス!


室矢憲治 Kenji Muroya (ムロケン)
東京生まれ、ニューヨーク育ちの作家、詩人、ジャーナリスト。滞米中の少年時代にビートルズのファーストUSツアーやボブ・ディランの“ロック転向”コンサート、ウッドストック・フェスティバルなどアメリカ若者文化の歴史的事件をリアル体験。以後海外の音楽シーンを『ミュージック・マガジン』や植草甚一、片岡義男らと創刊した『宝島(ワンダーランド)』らに紹介。NHK-FM「若いこだま」DJ、フジTV「TVジョッキー」などメディア・パーソナリティとしても活躍。90〜00年代には『SWITCH』『BT』『朝日ジャーナル』誌などにレギュラー寄稿。FM J-WAVEでロバート・ハリスらと立ち上げた「ボヘミアン・カフェ」はポエトリー・リーディング・ブームを巻き起こす。マルチトーク&ライブ・イベント『MUROKEN NOW!』を主催。『ニール・ヤング詩集』『ウッドストックへの道』(小学館)など著訳書多数。(www.muroken.com/

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