Be Good Boys

CALIFORNIA DREAMERSTILL DREAMIN’
ジャクソン・ブラウン

Kenji Muroya

 「カリフォルニアの州知事が日本のステージで、僕のMC、紹介をしてくれたって?嘘だろ?そんなの覚えてないよ~」陽気でひとなつっこい笑顔を浮かべてジャクソン・ブラウンは言う。覚えてないと言われても、彼が書いたあの大ヒット曲「テイク・イット・イージー」とイーグルスの来日。日本中の若者のハートを“ウエストコースト・サウンド”が揺らしたあの年、1977年。人気沸騰の初来日公演からわずか2ヵ月で再来日、海洋環境保護チャリティ・コンサートのステージでおりから来日中だった若手の人気知事、ジェリーブラウンが司会役を買って出て“僕より人気者のカリフォルニアのブラウンを紹介します!”と言った、あのまぶしい瞬間。日本の多くのファンの胸に焼きついているハイライト・シーン……そうか、自分がどんな輝かしい経験をしてきたかなんて、そんなことはこのグッドボーイの眼中にはないんだ。

 でもジャクソン・ブラウンというと、僕には思い出す出来事がいくつもある。

 そうあれはウエストコースト・サウンドが大人気だった70年代の半ばのこと。イーグルス、リンダ、ロンシュタット、ジャクソンという時のスターたちを抱えたL.Aの“アライサム・レコード”のオフィスに、銃を持った若い男が乱入したのだ。だが、残業中のオフィス・スタッフ、秘書数人を人質にした男の口から出た要求は意外に地味なものだった。「ジャクソンでもイーグルスでもいい。俺をクビにした会社から自分のトラックを取り戻すための費用、3000ドルばかりをしばらく用立ててもらえないだろうか……」

 事件発生後、1時間も経たぬうちに地元のFM局にジャクソンは現われ「ねぇ、頭をクールにして、この曲を聴いてみてくれよ」と若者に語りかけた。流れてきたのは“フェンスの上で身構えてないで降りて来いよ/ほら見上げてごらん、見えるだろう/きみの頭上にかかる虹が…”イーグルスの名曲「デスペラード」に続いて追い打ちをかけるようにジャクソン自身の「テイク・イット・イージー」が、“走るきみの車が立てる音が、きみをクレイジーにしないようにね”と聞こえてきた時、気弱なトラブル・メーカーは目に涙を浮かべながら銃をおろしたのだった。

 これは翌日の新聞でも大きく報じられた、あの誠実でやさしいウエストコースト・サウンドの魅力と当時の若者たちへの影響力、普及力を物語る、心温まるエピソードのひとつ。駆けつけたのが、ちょっと脳天気な歌姫リンダで、自分のヒット曲「ユー・アー・ノー・グッド(悪いあなた)」をかけていたら、事件はどうなっていたかわからないけれど……などと新聞記事は茶化していたっけ。

 「うん、それならおぼえているよ!」とジャクソン。「ラジオを聴いていた仲間たちが協力して、たしか彼は仕事に戻れたんだよ。あの頃の助け合いの気持ちが今、少しずつだけど人々の間に回復してきているんだぜ。でもそうでもなけりゃ、今の状況はほんとやばいよね。たまに時間ができてサーフィンをしに、海にでてみればプラスチックのごみだらけ。今度のアルバムはこの5、6年間、僕がしてきたこと、感じてきたことが自然に凝縮して生まれたんだ。気楽にしてられない時代だよね、ほんとうはもうとっくに、どこかに消えていても不思議じゃないんだけどさ(笑)」

 青春の渇望、孤独、自由へのあこがれと男女の心の機微……そうしたテーマを感受性あふれる言葉で歌にして、シンガーソングライター時代の旗頭になったジャクソン、だが、デビューから40年という長い人気を支えてきたのは、詩人、ミュージシャンとしての魅力ばかりではないだろう。もうひとりのヒューマンな存在として、この地球という星をもっとよりよい場所にしたいと願うユートピアン、社会活動家としての彼の活動や発言。グレン・フライ、JDサウザー、ウォーレン・ジヴォンなど才能ある仲間たちを世に紹介し、ボニー・レィット、クロスビー、ステイルス&ナッシュら志を同じにする仲間たちとノー・ニュクスをはじめ数多くのチャリティ活動を持続してきた友情の絆。彼の魅力はとても簡単に語りつくせるものではない。



 「そういえばジャック・ジョンソンがG-ラヴやベン・ハーパー、ドノヴァン・フランケンレイターたちと、みんなサーフィン好きな音楽仲間たち、みたいな友愛感あふれる活動をしていた時、実はその行動のヒントは昔の僕やイーグルスたちにもらったんだって、言ってくれたことがあってね、とても嬉しかったよ。僕よりずっと若いけど、ジャックやPLAYING FOR CHANGEの活動をしているマーク・ジョンソン、僕はリスペクトしているよ」。

 肌の色、年齢、性別に関係なく、誰に対しても謙虚で誠実に接する彼の姿-それは僕が彼と最初に会った1976年カリフォルニア、サンノゼ市民センターでのコンサートの夜から、ちっとも変っていない。そのオープン・ハートのスタンスで、彼は才能あふれる人々との交流の輪を広げ、どんなロック・ミュージシャンもかなわない広尾ファンベースを世界中に持っているのだ。アメリカ、イギリス、日本、そして、スペイン、キューバ……。

 「イーグルスがオーストラリア公演で大人気だったって?うん、きいてる。きいてる。バーズ、イーグルス、トム・ペティ、それに最近注目しているドウズとか、ウエストコースト・サウンドと呼ばれるある種のハーモニーとかギターのからみ方、その系譜のバンドって、なんか世の中が少し沈滞から脱してくる時に元気に活動しているって思わない?今度のアルバムで18才の時に書いた「ザ・バーズ・オブ・セント・マークス」を40年かかって、やっと最初のイメージ通りのバージ・サウンドに仕上げることができたんだ。遠回りしたけれど、僕もやっとあのラヴ&ピースの時代の僕に原点回帰した?そうかもしれないね(笑)今度、大きなチャリティ・コンサートをやる時はイーグルスにも声をかけて、あの戻ってきてブラウン知事にMCを頼んでみようかな“帰って来たカリフォルニア・サウンドの放浪児です!”って(笑)」。

JACKSON BROWNE ジャクソン・ブラウン

48年独、ハイデルベルグ生まれ。カリフォルニア、オレンジ・カウンティ育ち。72年レコードデビュー。イーグルスとの大ヒット曲「テイク・イット・イージー」や『レイト・フォー・ザ・スカイ』『孤独なランナー』などのアルバムで70年代ウエストコースト・サウンドの旗手として一世を風靡。詩情あふれる内省的な歌詞と繊細でメロディアスな曲が多くの人々の心を捉え、次世代のシンガーソングライターたちにも歌い継がれる。80年代から政治的・社会的メッセージを加え反原発、環境保護、人種差別など数々の社会問題に人々の関心を喚起。04年にロックの殿堂入り。最近発表された14枚目のスタジオ・アルバム『スタンディング・イン・ザ・ブリーチ』はハイチや東北大地震、福島原発事故もふまえ、“愛と人間性への回帰を訴えた傑作”と世界的に高い評価を得ている。(公式サイト:www.jacksonbrowne.com

室矢憲治 Kenji Muroya (ムロケン)
東京生まれ、ニューヨーク育ちの作家、詩人、ジャーナリスト。滞米中の少年時代にビートルズのファーストUSツアーやボブ・ディランの“ロック転向”コンサート、ウッドストック・フェスティバルなどアメリカ若者文化の歴史的事件をリアル体験。以後海外の音楽シーンを『ミュージック・マガジン』や植草甚一、片岡義男らと創刊した『宝島(ワンダーランド)』らに紹介。NHK-FM「若いこだま」DJ、フジTV「TVジョッキー」などメディア・パーソナリティとしても活躍。90〜00年代には『SWITCH』『BT』『朝日ジャーナル』誌などにレギュラー寄稿。FM J-WAVEでロバート・ハリスらと立ち上げた「ボヘミアン・カフェ」はポエトリー・リーディング・ブームを巻き起こす。マルチトーク&ライブ・イベント『MUROKEN NOW!』を主催。『ニール・ヤング詩集』『ウッドストックへの道』(小学館)など著訳書多数。(www.muroken.com/

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